ヒマラヤ山行報告書


記:村上 淳也
1 山系 山岳名 ネパール タワヒマールピーク 6110m
2 日程 2008.08.02〜08.24
3 団体名 日本勤労者山岳連盟・ネパール山岳協会友好登山隊
4 参加者 村上 淳也 冨永 和身 浜村 信 石原裕一郎 伊賀 幹夫 森 初芳 他11名
5 行程 実行程と予定行程は別表 参照

8月02日(土)ANA975 羽田21:00 −22:10関空
2:00前に集合の約束なので6:30に娘の車で家を出る。荷物の重量は23kgを越える。既に大半は集合していたが、副隊長の伊賀が来ていない。一時間前になっても来ないのでやむをえず、荷物を預けチェックインする。結局、伊賀はフライトぎりぎりに間に合ったようだ。 

8月03日(日) TG673 関空1:25−5:15バンコック TG319 バンコック10:40−12:40カトマンズ
富山の仲井、大阪の田中を加え関空に全員17人が集合。隊の荷物を加えて重量を測定する段になって、森がパスポートを提示したところ期限切れが発覚する。この件については何度も確認をした筈であったが、今となってはどうすることも出来ず全く残念である。
実はこの山行に参加予定であった久保が脚立から落ちて骨折し不参加となり、又シェルパのサーダのアンパブが今回のルート偵察で落石に逢い右腕を骨折している。
バンコックを経由し、カトマンズに到着しギブスをしたアンパブ、ダワなどの出迎えを受ける。予定のゲストハウスで一夜を明かす。冨永氏と同室。
8月04日(月) カトマンズ−ポカラ
 カトマンズからポカラまでの移動日である。カトマンズは話のとおり空気が悪く、非常にごみごみした街である。戦後の日本に車をいれた感じである。カトマンズは約1,800mの盆地でそこから2,000mほどの峠を越え、標高800mのポカラまで200kmの移動で、途中一時間ほどの渋滞があったが無事17:30にポカラに到着する

8月05日(火) ポカラ
 4:40に起床 荷物を整理していると外が何となく慌しい。登攀隊長で今回のヒマラヤ行きの計画、準備その他一切を仕切ってきた石原が脳内出血で倒れたとのことであった。すぐに救急車を呼び病院に入院させる。意識ははっきりしているが、左半身が麻痺しているようだ。取りあえず今日の行動は中止し、一日石原の容態を見ることにし、ポカラに停滞することとする。15:00今後の行程についてミーティングする。
石原の容態を考慮し(家族に連絡を取る)シェルパを一人付け明日ムクチナートに向い、そこで再度相談し今後の行程を再検討することで出発することにする。
ポカラはネパール第二の都市でダム湖を有し、町からマチャポチャレ、アンナプルナの秀峰が見ることが出来る観光都市でもある。今回は残念ながら山は見ることが出来なかった。(石原の奥さんと平松氏がこちらに向うとの連絡が入る)。18:30近くの中華料理店で夕食を取る。

8月06(水)ポカラ−ジョムソン−ムクチナート
 4時起床 朝食を済ませ8:30に宿舎のホテル.ホリディ.ポカラを出、空港に向う。空港は小さなローカル空港で何時飛び立つかはっきりしない。荷物検査も無事通り10:30ジョムソンに向け飛び立つ。
 途中雪を被った7〜8千m級の山々を見ながらその山間を一時間弱でジョムソン空港に到着する。
 空港からはカリガンダキ川に沿って北上する。一時間ほど歩きパンダコーラを渡る。そこからジープでムクチナートヘ。 私は順化のため途中ジャルコットで下車しムクチナ−トまで歩くことにする。ジャルコットは3,550mほどの標高でムクチナートまで150mほど登ることになるが結構息苦しい。
ムクチナート15:30着 16:00昼食 19:00夜食 標高 3,700m
8月07日(木)ムクチナート
 今日は高度順化のトレッキング日 GyuLa の峠4、080mまでの予定
 6:00起床 7:00朝食 8:00出発 シェルパの間違いで予定の逆コースを歩く。ムクチナートはヒンズー教の発祥の地でShivaTempleがあり。その横を通り500mほど進みとWorld’s WidestPass ThorungPassへの分岐で、やがてJhong khola 川に架かる吊り橋を渡る。今日は左側へトレッキングするが、明日はここを少し登り、それから川沿いに右岸を登ることになる。途中、アンモナイトの化石を採取しながら、5時間ほど歩き順化を終る。16:00にミーティングを行い、19:00食事、20:00就寝
8月08日(金)ムクチナート−第一キャンプ
 5:00起床 6:00朝食 7:00スタート
 昨夜はかなり雨が降ったが 朝には雨も上がり、血液の酸素濃度 90%と体調は非常に良い。食欲も旺盛である。今日は昨日のトレッキングコースを再び登る。途中、ドロドロの渡渉で靴が踝まで抜かる。渓谷のきつい斜面につけられた道をゆっくり進む。今日は約700mほど登る予定である。3時間ほど歩いたところで、隊員の一人が遅れだす。冨永氏と二人で付き添う。始めはゆっくりなら何とか歩くが、そのうち眠いと言い出し10歩歩いて一休みの状態でなかなか進まない。約40分遅れで何とかキャンプに到着する。花が咲き誇り疲れを癒してくれた。冨永氏は夢中でシャッターを押していた。キャンプ地 4,400m
8月09日(土) キャンプ 順化日
 6:30起床 7:30 朝食 8:30出発
 昨日登った沢を4時間ほどトレッキングし(4800mまで)12:40キャンプに戻る。昨日体調を崩した古閑さんは回復せず14:00シェルパとともに下山する。

8月10日(日) 第一−第二キャンプ
 5:00起床6:30朝食 7:40出発
 朝、岡野氏が下山。キャンプを出発。今日は5,200mの第二キャンプまで登る予定である。標高差800m、辺りの山々、そして草花を見ながら順調に高度を稼ぐ。8,000mのダウラギリはさすがに美しく、白い尖った厳しい容姿は見事である。この山は8千m級で最近踏破された山だそうである。
8月11日(月) キャンプ 順化日
 BC(第三キャンプ)約5,500mまでのトレッキングである。体の方は何時もと変わらないが、動きが幾分鈍くなっているようである。岡野、川崎、佐藤、田中、斉藤の5氏がシェルパ、クッカー、ポーターとともに下山する。冨永、浜村氏が下痢を訴える。冨永氏は以前から風邪を引いていて咳をしていたのだが。
 伊賀、内田、佐藤、仲井の5人でのトレッキングとなる。昨夜はかなり強い雨であったが、今朝は快晴で山々がまぶしく光輝いている。尾根に登りつめると氷河が現れ、銀世界である。BCには既に一部のテントが張られていた。途中から雨になったので急いで下山する。
 この時期、ヒマラヤはモンスーンで一日に一回は晴れるが雨(霧)もあり非常に不安定な季節である。

8月12日 第二キャンプ〜BC 晴れのち曇り
 6時起床 7時朝食 8:35 BCに向け出発。昨日トレッキングしたコースを再度登ることになる。天気も良くほぼ直登で順調に高度を稼ぐ。途中目印になる石を建てるなど余裕をもって8人全員5,600mのTawa Himalの尾根に到達。気温がかなり上昇し熱い。左下方には既にテントも張られていた。11:10 BC到着。
12時過ぎの昼食のラーメンが非常に美味しかった。一服していると気温が急変し、間もなく霧になり、そして粉雪になる。皆が休憩中 ダワとカジの3人で付近の様子を見るため丘に登るが、この時は特に空気が薄く感じられ、非常に息苦しい。明日はいよいよC1に向うことになるが、浜村、冨永の調子が心配である。
8月13日(水) BC−C1
 6:00 起床 7:00−30分 安全祈願 7:30朝食 9:30 出発
 浜村、冨永氏は体調不良のため停滞することになり、6人の行動となる。最初から膝までの軟雪の登行となる。
 12:00頃5,950mの尾根に出、その後氷河の裾を200mほど下り、氷河が切れた部分にC1が建設されていた。C1から見る高さ200mほどの氷河は青く光り新鮮である。休憩の後、登攀道具のチェックと近くの氷河でアイゼンとピッケルを使っての登りの訓練と、ユマールとエイト環をつかっての登,下降の練習を行う。

8月14日(木)C1−TP −C1−BC
今日はいよいよタワヒマール登頂を目指す日である。
 4:00起床 5:00朝食 6:00 出発  
朝、目を覚ますと顔が腫れっぽい。特に目の辺りがひどい。そして異常に息苦しい。高山病に罹ったらしい。
6人で出発するが内田と松島は別々に後から登り、伊賀、仲井、佐藤、私の4人が先行することにする。しかし何時もと違い3人に着いていけない。力が入らず、どうしても離れてしまう。やむをえず、後ろの松島と一緒に登ることにするが、私以上に松島が苦しそうでピッチが上がらない。何とか、岩峰の取り付け付近まで辿り着くがこれ以上は無理との判断でやむなく下ることにする。C1- 9:00 ?
C1で一休みしそのままBCに向う。BCに到着し一服していると間もなく、先行した3人が戻ってくる。最後の100mの岩峰が登れず無念にも引き返してきたそうである。
8月15日(金)BC−第一キャンプ 
6:00 起床 7:00朝食 8:30下山
楽しかったヒマラヤ登頂も終わり、今日から下山である。顔の腫れも大分引き体調も上々である。冨永、浜村氏も幾分回復した模様である。13:50第一キャンプ到着。浜村氏は足に力が入らず、シェルパの協力で下山する。

8月16日(土) キャンプ− ムクチナート
6:00起床 7:30 下山
病人を抱えての下山なので慎重にゆっくり降りる。街は丁度お祭りで、若い女性は綺麗に着飾りそして若者たちが、ポニーに跨り、街を走り回り、見物人がそれを見て楽しそうであった。14:30ホテル着 小雨
8月17日(日) 6:00起床 7:30 下山
約一時間ジープに乗って下る。パンダコーラを渡渉し再びジープに乗りジョムソンに。

8月18日(月)
飛行機が満杯で明日のフライトになる。そのため今日はマルファまでのトレッキングとなる。マルファはソイミと言うお寺があり、整然と40件ほどの宿が並び、綺麗な宿場町である。

8月19日(火)
残念ながら天気が悪く飛行のサイレンが鳴らない。午後からDhumphaへトレッキング。

8月20日(水)
12時までフライトの合図のサイレンを待つが鳴らない。もし明日飛ばなければ23日のカトマンズからの飛行機に乗れないことになり、やむなくカリガンダキの渓谷を歩いて下ることにする。ジョムソンからジープでLeteまで そこから沢を歩いて下りGhasaまで。 Ghasa泊

8月21日(木)
今日はほぼ一日歩きである。カリガンダキの景観は素晴らしく多くの滝を眺められるのは楽しいが、川添いにつけられた道は 一方上からの落石、道路の崩壊そして多くの渡渉はかなりの難儀であった。Tiplyangに着く頃は雨となる。 Tiplyang 泊
8月22日(土)
Beniまでの半日歩きでそこから車の予定であったが、先2箇所で崩壊が発生し車の乗り継ぎを余儀なくされる。
やっと最後のカトマンズまでのバスに乗れたときはさすがにホットして、舗装道路に出たときは、これで予定とおり日本に帰れる気持ちになり流石に嬉しかった。
19:00ポカラ着
ポカラで夕食を取り、22:30夜行でカトマンズに向う。

8月23日(土)
5:00カトマンズのゲストハウスに無事到着。さきに下山して待機していた7人と再会し石原以外の15人が揃う。5日以来の18日目のシャワーを浴びすっきりしたところで10:30 空港に向う。
石原氏は大分回復し、同じ飛行機でバンコックに向い、そこから成田に直行する予定である。
大変お世話になった、ダワ、ダンプに見送り頂き厳しくも楽しかったヒマラヤの山行は終ることになる。

8月24日(日)
9:55予定通りに羽田に到着。
多くのシェルパ、クッッカー、ポーターに支えられて何とか無事帰国することが出来た。ネパールでお世話になった多くの皆さん ダンネバット
最後に今回の山行で感じたこと
1 ダワラギリ、アンナプルナの8,000m超の峰のほか6‐7,000m級の山々の容姿は素晴らしかった。

2 季節がモンスーンで季節が悪かった。一日は晴れ、曇り、霧、雨、雪の繰り返し。
  朝−羽毛服 昼−半袖 合羽、笠 夜−羽毛服

3 帰りの崩壊続きのカリガンダキの渓谷山道を丸三日歩いて下山したこと。

4 事故が続出したこと。
  1 A氏 出発前に脚立から落ち骨折
  2 B氏 関空でパスポート期限切れ発覚
  3 C氏 シェルパの筆頭がルート事前調査で落石に逢い右腕骨折
  4 D氏 出発の朝ホテルで脳内出血で倒れ入院
  5 E氏 下山後肺水腫で入院
  6 F氏 帰国後 貧血がひどく入院
  7 軽い高山病以外特に問題が無かった隊員は僅か3人

5 シェルパ、ポーターの絶大な協力

以上

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