絵下山(広島県)

記:奥坊 寿将

2009年1月2日
メンバー 私 私の母 他2名
行程   家の庭から登山道で矢野城址〜野間神社〜絵下山公園〜絵下山〜県道〜家
 年末には土地の境界線の事で両親と簡単な沢に入ったりしていた。
東京からGPSや2万5000分の1の地図を持って行ったが大きすぎて困っていたら親父が2m等高線を持っていたのでそれを片手に読図をしながら確認作業をして、市が設置した点を発見して地図に記入したり方位や位置などを記録しました。

 帰宅したら さらに詳細な地図が出てきて びっくり 1m等高線!!!! 

 いちめーたーですよ! 見ているだけで美しい、、、

 どうやって作成したのかとか何処で売っているのかなぁーとか、あまりにも美しいので酔いしれていたら、下の方にに親父立会いのもとに作成と、、、
おいいっ!! 俺が記入していた同じ所にちゃんと記号が記入されているじゃないか!
早くだせーーーっ

 日本の山は信仰の為に登られてきて、登山道や宿場、寺、神社などが出来た、『点の記』を読んでから自分の名前のルーツも気になっていたので興味があった。ちょっと調べただけで家からピークまでの間に出てくる出てくる城跡まであったのだ、庭から登山道が続いているし昔は自分の名前のバス停や山もあったのだった。親戚が本を作ってあるのでそのうち勉強しようと思ったのであった。
 もう親父は腰が悪いので山道は歩けない、なので隣のケンちゃんの両親をガイドに母ちゃんと僕の四人で初詣ハイクに行きました。

昼前に庭からスタート

 かあちゃんは生まれて初めての山登りです、白の長靴にジーパンにリュックのいでたちで、合羽は要らないとか飲み物要らないとか完璧に山をなめていたが、僕のザックにビール4本と合羽を一緒に入れて歩き始めました。
途中であられや小雨にあったが、小さな神社でお参りしたり、祠などの説明を受けながら登っていたら松の木に松脂を取った跡が何箇所もあった、油の無かった戦時中の傷でした、今は取れないがマツタケも一杯取れたそうです。
ちょんまげの浮浪者が住んでいた岩かげや自殺した木も教えてくれた、本物のちょんまげって相撲取り以外見たことないなー

 車で行った事がある見晴らしの良い所に3時間30分で着きました。

                    


 かあちゃんが『ヤーーーーーーーーッ』って奇声をあげて喜んでいた、しかも瀬戸内海に向かって何故だか『ホーーーー』はないが凄い興奮してはしゃいでいた。その気持ち凄くよくわかるよ、親子は似るものですね。
でもねぇ、かあちゃん ここは山頂ではないんだよ、、、

『えっ まだあるの?』だって

 公園の東屋でビールにしようとしたら風が強くて寒いので、僕はビールを速攻で飲んで母ちゃんはテルモスの温かいコーヒーを貰って飲んでピークに向かった、すぐにたどり着いて大きな岩があり、そこがピークであった。
裏から登ればブーツでも登れるが母ちゃんが止めろとウルサイので諦めたのです、、

                    


クライミングシューズは家にありザックに入れてこなかった、こんな所にも古くて錆びてひん曲がった支点が残っていたので今度行ったときには登るのは秘密です。
 下山は母ちゃんが限界なので車道を歩いて帰ったのでした。


 僕にとっては35回目の山行で母ちゃんにとっては1回目でした、あと何回一緒に登れるかな?
数日後も母ちゃんは筋肉痛が無かったのでフラダンスの効果があるみたいです、まだまだ元気で良かった。
 まったりとした、そんな正月でした。

                    


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